京都の同志社大學の銭鷗教授の研究室は、機が一つ置かれているほかは全て本棚で埋め盡くされている。本棚には本がぎっしり並び、なかでも一番目を引くのは、きっちりと並べられた20巻に及ぶ「王國維全集」。これは銭教授が主に研究しているテーマであり、銭教授は王國維研究において有名な學者だ。幼い頃の銭教授は武術(shù)が好きで、後にダンスが好きになり、ダンサーになることが最大の夢だった。しかし、身體的な原因から泣く泣くダンサーへの道をあきらめ、學問の道を目指すことにしたという。(記者:楊野 重慶晨報掲載)
ダンサー目指すも怪我で斷念
銭教授は小學生時代、當時の同世代の女の子とは異なり、武術(shù)をこよなく愛していた。小學三年生で重慶市のアマチュア體育學校に編入し、器械體操を?qū)Wんだ。4年間體操を?qū)Wんだ後、ダンスに興味を持ち始め、ダンサーとして活躍することに強い憧れを抱き始めたという。
13歳の年、新疆維吾爾(ウイグル)自治區(qū)ウルムチ市の戦神歌舞団が重慶を訪れ、団員の募集を行った。銭教授は幸運にも多くの応募者の中からその高い実力を買われ、新団員に選ばれた。このことについて銭教授は、「當時、戦神歌舞団は重慶全體で募集していた女の子はたった一人。私はそれに選ばれたの」と誇らしげに語った。こうして銭教授はウルムチへ渡った。
ダンス三昧の日々だったが、銭教授は文化知識を身に付ける學習も怠らず、空いている時間は本を読みふけっていた。1980年、銭教授はダンスの練習中に腰を負傷してしまう。それまでダンス命と頑張ってきた銭教授とってそれはまさに青天の霹靂とも言うべき出來事で、この事実を受け止めるのにかなり長い間、茫然自失の狀態(tài)に陥ってしまったのだという。
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