日本の和歌山県高野山の麓にある有名小規(guī)模企業(yè)の岡田織物を訪れた。數(shù)十平方メートルにも満たない応接室兼製品展示コーナーにいると、この「田舎の工房」のようなフェイクファー生地メーカーが世界のファッション界の新たな人気者であり、シャネルやルイ?ヴィトン、グッチなどの國際ハイブランドに製品を提供するサプライヤーであるとはなかなか想像できない。新華網(wǎng)が伝えた。
同社はわずか4人の社員で數(shù)百種類に上るフェイクファーを作り出す。毛足の長さはいろいろで、色もたくさんあり、それぞれに光沢の加減が異なり、ふわふわで滑らかな製品に觸れると、この企業(yè)に他にはない獨自の優(yōu)位性があることを信じざるを得ない。
同社のある高野口町一帯は、江戸時代末期に繊維産業(yè)が興り、明治時代に歐州の紡績技術(shù)を吸収し、一時は起毛素材で繁栄を極めた。しかし価格競爭力の低下や産業(yè)の海外移転にともない、繊維工場の數(shù)は最盛期の數(shù)百社から現(xiàn)在は60社に激減し、売上高も全盛期の10分の1に減った。
同社も1991年に深刻な経営難に陥った。この年に家業(yè)を継いだ岡田次弘現(xiàn)社長は、革新と優(yōu)れた製品を生み出すことで會社を救おうと決め、動き出した。
岡田社長が真っ先に解決しなければならなかった問題は、フェイクファーの毛が毛根から毛先まで同じ太さだということだった。そこでベースになる生地に使われる繊維に著手し、三菱ケミカル株式會社繊維素材事業(yè)部と共同開発を進(jìn)め、試作を繰り返して、最終的に切斷面が従來の円形とは異なり3つに分かれた先割れ繊維「プロパール」を開発した。この重要な改良に起毛素材の製造段階後半での仕上げの技術(shù)が加わって、同社が生み出すフェイクファーは根本が太くしっかりし、毛先は細(xì)く柔らかく、本物のような質(zhì)感を作り出すことに成功した。
國際ブランドに製品を受け入れてもらうには、別の問題を克服しなければならなかった。フェイクファーは生地の裁斷中に毛がカットされてしまい、毛が抜けやすくなるという問題だ。
そこで岡田社長は日本の有名繊維機械メーカーの島精機製作所をたずね、フェイクファー専用の裁斷機を共同開発した。その操作プロセスでは、針のような裁斷裝置が絵を描くようにイメージ図に添って軽快に動き回り、さまざまな形狀の生地が1枚1枚カットされて機械から送り出される。機械の回りはきれいに片付いており、少しの毛くずも見られない。
岡田社長は、「2002年に歐州市場で受け入れられなかった時から、2010年にルイ?ヴィトンが自ら來てくれるようになるまで、岡田織物は8年かかった??嵕Sの改良や裁斷プロセスの革新だけでなく、太陽光を熱エネルギーに変換する発熱ファー、超ソフトな手觸りのSoft RexやPremium Rexなどの新製品も開発し、日本で商標(biāo)登録した」と説明する。
世界で動物保護や持続可能な発展の意識が高まるのにともない、ファッション界は毛皮離れの傾向がますます明確になり、岡田織物は歐米ハイファッションブランドのサプライヤーとしてますます人気を集めるようになった。多い年には製品の40%が海外に輸出され、18年の売上高は1億2千萬円に達(dá)した。
岡田社長は革新を続け、家業(yè)を救済しただけでなく、周囲の多くの企業(yè)にも活力をもたらした。起毛素材の製造は非常に複雑な工程であり、全部で40を超える工程を経なければならない。岡田織物の本物そっくりなフェイクファー生地は高野口町一帯の企業(yè)約20社が分業(yè)し、共同で完成させたものだ。
取材を終えて高野口町を後にするときに深く感じたのは、時代のニーズや変化に応じ、革新を続け、優(yōu)れた製品を生み出す戦略を堅持し、伝統(tǒng)的製造業(yè)の優(yōu)位性と現(xiàn)代の科學(xué)技術(shù)を高度に融合させたことこそ、岡田織物という小規(guī)模企業(yè)が生き殘る道ということだ。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年5月27日