アメリカンスタイルが持ち込まれ、誤解され、改良され、日本の流行文化がアイビールック、ジーンズブーム、ヒッピーファッション、西海岸カジュアル、レトロファッション、ニューヨークのストリートファッション、定番のワークウェアなどを経験する中、數(shù)々のファッションが數(shù)十年にわたって続々と日本に入り込み、日本社會の見た目を変え、今度はそれが西側(cè)に送り込まれ、世界のファッションに影響を與えるようになった。マルクスさんから見ると、「これはグローバル化の最良の事例だ。最初の細(xì)い糸がどのように織られてループを作り、一つの製品に織り上げられるのかがわかった」という。
日本はアイビールックを起點に、50年にわたるファッションの発展の後、今や流行文化に最も熱中する國になった。意外なことに、當(dāng)時変化を後押ししたのは、プロのファッションデザイナーではなくて、企業(yè)家や輸入業(yè)者、雑誌編集者、スタイリスト、音楽関係者などだった。メディアを操ったファッション界の巨頭?石津氏、トレンドに敏感なファッション編集者のくろす氏などがまさにそうだ。日本の若者がファッション誌をバイブルとあがめる伝統(tǒng)は今も続き、米國では10誌に満たない男性ファッション誌が、日本には50誌もある。
マルクスさんが著作を刊行してからの4-5年にも、日本のストリートではいろいろと変化し続けている。マルクスさんは、「実は、本が出來たその日に、人々が日本のトレンドへの関心を失ってしまうのではないかと心配していた」と振り返った。また、「いくつかの出來事が、中國のファッション産業(yè)での地位がもっと重要になるという自分の考え方を裏付けてくれる。中國のファッションについて本を書くなら、最初の9章の內(nèi)容は最初の本とほとんど変わらないが、第10章はファッションについて別のアプローチをすることになる。中國のファッションについて、今は10の事例を挙げることができる。5年後、中國ファッション産業(yè)は世界でさらに重要な役割を果たすようになっていると思う」と述べた。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年11月4日