現(xiàn)地時間今月7日、中國の明代に作られた類書で100年以上の歴史を誇る國寶レベルの文化財(cái)「永楽大典」2巻がフランスで競売にかけられ、812萬ユーロ(1ユーロは約120.50円)という高額で落札された。中國新聞網(wǎng)が報じた。
「永楽大典」2巻のスタート価格は5000ユーロだったものの、瞬く間に50萬ユーロを突破した。そして、その後も価格はヘリコプターのように上昇を続け、數(shù)分後には500萬ユーロにまで跳ね上がった。
華字紙「歐州時報」によると、オークションではその入札価格が、オークション會社がパネルに表示できる最高価格を超えてしまい、それ以上は表示されなくなってしまったという。そして、11分の競売を経て、最終的に、ある中國人女性がスタート価格の1200倍以上である640萬ユーロで落札した。そして、手?jǐn)?shù)料27%を加えた最終価格は812萬8000ユーロとなった。
「永楽大典」とは?
「永楽大典」2巻のスタート価格と落札価格が1200倍以上という大きな差について、中央財(cái)経大學(xué)競売研究センターの研究員?季氏は、「出品者がその価値を全く理解していないことを示している。中國人にとっては、計(jì)り知れない価値のある一品だ」と説明する。
600年以上前に編纂された「永楽大典」は、全部で2萬2877巻、目録60巻、1萬1095冊からなる。永楽帝の時代の正本と、嘉靖帝の時代の2部の副本がある。
永楽元年(西暦1403年)、明の第3代皇帝?朱棣は、大型類書を編纂することを決定した。朱棣はあらゆる図書を原本によって蒐集し、全ての本を包括する書物の精華とし、古今の文獻(xiàn)の集大成にしたいと考えた。そして、永楽5年(西暦1407年)に、この壯大なプロジェクトが完了した。
「永楽大典」は、當(dāng)時目にすることができた全ての図書、資料を集め、「古今文獻(xiàn)」という韻書の韻の順序により、関連の內(nèi)容の一句、一節(jié)、一章、一冊を分類排列している。文字?jǐn)?shù)は合わせて約3億7000萬文字で、その全てが手で寫された。中國の先秦の時代から明の初めの時代の書籍7000‐8000冊が収められている。
ただ、殘念ながら、「永楽大典」の正本は消失してしまっている。そのため、現(xiàn)存する「永楽大典」はどれも、明の第12代皇帝?嘉靖の命令によって寫された副本だ。そして、その副本も、世界各地に分散しており、合わせても400冊ほどしかない。
成立してから近代に至るまで、皇帝が所蔵していた「永楽大典」の多くが散佚してしまった。
1900年、8ヶ國連合軍が北京に侵攻した際、「永楽大典」は、焼かれてしまい、ほとんど亡佚してしまうという災(zāi)難が起きた。そして、連合軍に盜まれたりもした。民國元年(1912年)に、翰林院が所蔵する「永楽大典」の殘本が京師図書館(現(xiàn)在の國家図書館)に引き渡された時には、わずか64冊しかなかった。新中國成立後、「永楽大典」の收集は、議事日程にも盛り込まれ、ソ連やドイツなどが、「永楽大典」を中國に返還したこともある。また、中國國內(nèi)の一部の個人のコレクターも「永楽大典」を寄付してきた。
現(xiàn)在、「永楽大典」の副本の殘本は、原書の4%に當(dāng)たる約400冊、800巻ほどしか確認(rèn)されておらず、9ヶ國?地域の公立?私立の所蔵機(jī)構(gòu)約30ヶ所に分散している。うち、200冊余りが國家図書館に所蔵されている。
ある報道によると、オークション會社は、その2冊はフランスの個人のコレクターが出品したとしている。コレクターの家族が19世紀(jì)後半に大佐として中國に派遣され、70年代に、中國の高官と親しく付き合うようになった際、たくさんの物を寄贈され、それに「永楽大典」2冊が含まれていたという。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2020年7月10日