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2014年8月15日  
 

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8月15日の意味を問いただす 戦爭(zhēng)を省察する日本社會(huì)の聲

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版 2014年08月15日14:21

 日本が敗戦69周年を迎えるにあたり、安倍政権を始めとする歴史修正主義勢(shì)力が時(shí)計(jì)の針を逆戻りさせようと愚かにももくろむ逆流の中にあって、8月15日の歴史的意味を改めて熟考し、忘卻や噓に対抗することが、日本社會(huì)が直ちに向き合わねばならない現(xiàn)実的課題となっている。新華網(wǎng)が伝えた。

■8月15日:元日本兵の屈辱と新生

 「毎年8月15日はあなたにとって何を意味しますか?」との記者の質(zhì)問に、元日本兵の沖松信夫さん(89)は、一言では言い盡くせないと語(yǔ)った。沖松さんにとって1945年の8月15日は紛うことなき新生の日であり、自分にとってもう1つの「誕生日」だ。69年前の盛夏、日本陸軍第六航空軍特攻部隊(duì)「振武隊(duì)」の一員として3カ月の訓(xùn)練を受けた沖松さんは自爆攻撃のため沖縄へ飛び立つ準(zhǔn)備をしていた。8月15日に4人の仲間とともに出撃命令を受けたが、経由する飛行場(chǎng)が空襲を受けたため、予定通りに出発できなかった。そして同日正午前後、裕仁天皇がポツダム宣言の受諾を宣言し、日本は無(wú)條件降伏した?!袱ⅰ⒅盲?!」。沖松さんはその時(shí)、心の中では喜びがやまなかったが、それを顔に出すことはできなかった。

 戦後、沖松さんは8月15日が日本にとって新生の日であることを深く理解した。1961年に元日本陸軍中將の遠(yuǎn)藤三郎氏が、戦爭(zhēng)を反省し、戦爭(zhēng)の根本的原因を取り除き、日中友好を促進(jìn)することを訴えて「日中友好元軍人の會(huì)」を結(jié)成。沖松さんはこれに感化されて入會(huì)した。後に同會(huì)は「日中友好8?15の會(huì)」と改稱。現(xiàn)在數(shù)百人の會(huì)員がいるが、戦爭(zhēng)を経験した元兵士は10數(shù)名しか殘っていない。同會(huì)の核心的理念は「軍備亡國(guó)?反戦平和」「過去の直視、これが歴史認(rèn)識(shí)の原點(diǎn)」。沖松さんは現(xiàn)在代表幹事を務(wù)め、90歳近くになる今もなお様々な講演や講義に參加し、痛ましい戦爭(zhēng)の記憶と反省の精神を多くの日本人に伝えている。

 沖松さんから見ると、靖國(guó)神社參拝であれ、集団的自衛(wèi)権の行使容認(rèn)などの軍備措置であれ、安倍政権の動(dòng)きは潮流に逆らうものだ。安倍內(nèi)閣の危険な暴走の原因の1つはまさに國(guó)民の無(wú)関心やどうでもいいという心理にある。

■8月15日:戦爭(zhēng)の記憶の継承と忘卻

 「69年前の8月15日は晴天だった」。「日中友好8?15の會(huì)」常任幹事の熊谷憲治さんは記者にこう語(yǔ)った。熊谷さんは吉林省通化市に生れ、日本敗戦時(shí)はわずか5歳だった。ぼんやりした記憶を後に母から聞いた話と結(jié)びつけて、異國(guó)の地で迎えたあの日を振り返ってくれた?!袱ⅳ稳漳袱?、外に出てみたら今まで見たことのない光景を見た、周囲の中國(guó)人の農(nóng)家がどの家も中國(guó)の旗を掲げていると、私に慌てて伝えた。あ、ここは人の國(guó)、人の土地なんだと、みんな夢(mèng)から覚めたかのようだった。私たち日本人は人の土地をずっと占領(lǐng)していたんだと」。

 熊谷さん一家は朝鮮半島に逃れ、曲折を経て1947年にようやく日本に戻った。熊谷さんは「日本が8月15日まで間違っており、8月15日後にようやく新生を迎えたことは間違いない」と語(yǔ)った。

■8月15日:歴史認(rèn)識(shí)と戦爭(zhēng)責(zé)任の原點(diǎn)

 8月15日をめぐる迷いはその呼稱にも表れている。日本政府の正式な呼稱では「終戦の日」であり、「敗戦の日」ではないし、ましてや「無(wú)條件降伏の日」ではない。こうした表現(xiàn)によって、あの戦爭(zhēng)の罪悪と教訓(xùn)を完全に回避している。

 元共同通信編集委員の中村明氏は「日本の統(tǒng)治層が敗戦を認(rèn)めようとしないのは、戦爭(zhēng)責(zé)任の追及という問題がもたらされること、特に裕仁天皇とその腹心の戦爭(zhēng)責(zé)任に波及することを懸念してのことだ。敗戦、降伏を『終戦』と言いなすことは、最終的に洗脳となった」と分析した。

 沖松さんは「日本は當(dāng)時(shí)一貫して誤った歴史観の中で敗戦を迎えた。國(guó)の指導(dǎo)層であれ一般民衆(zhòng)であれ、敗戦の根本的原因を本當(dāng)に認(rèn)識(shí)することはなかった。多くの人は敗戦を遺憾と思うだけで、日本がなぜアジア各國(guó)に甚大な損害をもたらす侵略戦爭(zhēng)を発動(dòng)し、最終的に敗れたのかについては正しい知識(shí)がなく、徹底的に追究しようともしなかった。戦爭(zhēng)體験のある元兵士を含め多くの日本人は、いまだに日本が米國(guó)に負(fù)けたことだけを認(rèn)め、中國(guó)の戦場(chǎng)でも敗者だったことは認(rèn)めない」と指摘した。

 「8月15日が一體何を意味するのかを、日本人一人一人が改めて問いただすべきだ」。沖松さんの表情は再び重々しくなった。(編集NA)

 「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年8月15日

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