「この頭蓋骨にはヨーロッパ人の特徴がある。固原市でヨーロッパ人の遺骨が発見されたのは、一度にとどまらない。これは外來民族の移動(dòng)や融合の狀況を十分に反映しており、隋?唐の時(shí)代に東西の交流が非常に頻繁であったこと、寧夏および固原地區(qū)がシルクロードの中で重要な地位を占めていたことを意味する」――。寧夏回族自治區(qū)固原市南ゲン(ゲンは土に原)に位置する、発掘作業(yè)中の墓地で、人骨鑑定専門家、吉林大學(xué)辺境考古研究センターの張全超教授は出土したばかりの頭蓋骨を持ち、記者と國內(nèi)外の専門家に対して、今回の発見の意義について説明した。光明日報(bào)が伝えた。
墓の所在地は固原市南ゲンで、固原市の市街地から5キロしか離れていない。これまで発掘されていた9基の隋?唐の墓のうち、6基がソグド人の史一家の墓だった。また同地からほど近い所で、北周の高官の墓が3基見つかっている。そのうち李賢夫妻の合葬墓の発掘、中國と西洋の交流の物証である金?銀メッキの壺の発見は、世界に衝撃を與えた。
記者が発掘現(xiàn)場を取材したところ、墓全體は盛り土、墓道、トンネル、天井、棚、通路、墓室によって形成されていた。坂になっている墓道の傾斜は15度、長さは28メートルで、トンネルと天井が5カ所で確認(rèn)された。墓室は地下12メートルに位置し、立派で大きな墓となっている。墓誌は見つかっていないが、3枚の文字がはっきり見て取れる、まったく同じ「開元通寶(銅銭)」が出土したことから、初唐の時(shí)代の墓であることが分かる。
専門家は、「固原地區(qū)でヨーロッパ人の遺骨が何度も発見されているが、これは固原がかつて中央アジアのソグド人が頻繁に活動(dòng)していた地域であったこと、また固原が中國と西洋の文化交流、経済?貿(mào)易交流の中で非常に重要な地位を占めていたことを裏付けている」と述べた。固原博物館の関係者は記者に対して、「固原地區(qū)にはそもそも、史という姓を名乗る人はいなかった。今の史を苗字とする人は、ソグド人の末裔かもしれない」と指摘した。
発掘調(diào)査隊(duì)の隊(duì)長である朱存世氏は、「今回の発掘調(diào)査はまだ終わっていない。さらなる発掘と研究により、新たな、より重要な発見があることを願(yuàn)っている」と語った。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年8月20日
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