今日は中國の伝統(tǒng)的祭日「臘八節(jié)(ろうはちせつ)」。この日を過ぎると、年の瀬のムードがぐっと盛り上がり、春節(jié)(舊正月、今年は2月19日)を迎える準(zhǔn)備がスタートする?!概D八」をめぐる全ての風(fēng)習(xí)の中心となるのは、「臘八粥」を食べる習(xí)慣だ。清の光緒年間(1875年 - 1908年)、北京最大のチベット仏教の寺?雍和宮で作られる「臘八粥」は、「北京の絶品」と稱された?;实郅稀⑻貏eに司官を派遣し、「臘八粥」作りを監(jiān)督させたという。中國新聞網(wǎng)が報(bào)じた。
●1千年超の伝統(tǒng)を誇る「臘八粥を食べる」習(xí)慣
最初は貧困者への施しが目的
「臘八節(jié)」という言葉を聞いて、ほとんどの中國人が頭の中にまず思い浮かぶのは、「臘八粥を食べる」ことだろう。「臘八粥を食べる」習(xí)慣は、中國ですでに1千年以上前から続いており、宋代に始まったといわれる。毎年舊暦12月8日が來ると、朝廷、官府、寺院は言うまでもなく、一般庶民も必ず「臘八粥」を食べた。清代に入ると、「臘八粥を食べる」風(fēng)習(xí)は、盛んに行われた。
「臘八節(jié)」にまつわる、「オールド北京」の風(fēng)習(xí)の多くは、清代から始まっている。だが、最も初期には、「臘八粥」は貧困者への施しを目的としたものだった。年の瀬が迫っても、食べ物がない貧困者に、鍋の蓋や縁を掃除した時(shí)に出てきた米をお粥にして施したことが、長い年月を経て風(fēng)習(xí)となり、それが官府、宮廷、寺院にまで伝わった。
長い時(shí)間を経て、風(fēng)習(xí)もだんだんと変わってきた。それにつれて、「春節(jié)の訪れを知らせる臘八粥」「臘八が終わると新年」など、臘八にまつわることわざも続々と誕生した。年越しを壯大な「シンフォニー」に見立てた場合、「臘八」は、第一章の「前奏曲」に相當(dāng)し、「年越し」の序幕が開く。また、「臘八粥(八寶粥とも呼ばれる)」には、「五味(酸味、甘味、苦味、辛味、塩味)」が全て揃っている?!赴藢殹工摔稀ⅰ缚F起が良い」という意味があるが、五味には苦味も含まれる。これは、「臘八節(jié)」と貧困者との関係を示すものであり、だんだんと現(xiàn)在の風(fēng)習(xí)が出來上がってきた。
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