安倍氏はどうしたのだ?「歴史を銘記する」のがそんなに難しいのか?
安倍氏がどう不安を抱こうと、今年は中國人民抗日戦爭並びに世界反ファシズム戦爭勝利70周年であり、全世界が「歴史を銘記」し、追想する重要な年だ。中國國民は當然のことながら、抗日戦爭時に犠牲となり、殉難した同胞たちを心からしのび、中國人民抗日戦爭と世界反ファシズム戦爭の勝利に貢獻した全ての國々と人々に敬意を表する。
歴史を銘記し、烈士を追想するのは、平和を大切にし、未來を切り開くためだ。少數(shù)の軍國主義者が侵略戦爭を発動したという理由でわれわれがその民族を敵視することはない。戦爭の罪の責(zé)任は民衆(zhòng)ではなく、少數(shù)の軍國主義者にある。だが人々は、侵略者の犯した重大な罪をいかなる時も忘れるべきでない。歴史の忘卻は反逆を意味し、罪の責(zé)任の否定は再犯のおそれを意味する。
國家指導(dǎo)者は、先人の創(chuàng)造した成果を継承するだけでなく、先人の犯罪行為がもたらした歴史的責(zé)任も擔(dān)うべきだ。だが安倍氏という「國家指導(dǎo)者」は一體どうしたのだ?「歴史を銘記する」のがそんなに難しいのか?(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年3月19日
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