■市場での淘汰が待たれる「質(zhì)の悪い青春映畫」
2013年に公開された趙薇の初監(jiān)督作「So Young ?過ぎ去りし青春に捧ぐ?(原題:致我們終將逝去的青春)」が興行収入7億元(約135億円3100萬円)を超える記録的な大ヒットになったことをきっかけに、國産青春映畫は表面的に黃金時代を迎えた。しかし、膨れ上がる一方の興行収入の數(shù)字と反比例して、近年の青春映畫の評判はあまり良くない。毒舌で知られる映畫評論家?楊文山氏は、「近年、青春映畫が氾濫し、玉石混淆の狀態(tài)にある。市場の淘汰メカニズムが必要だ。例えば、市場でも淘汰されず、墮落した狀態(tài)のままであるなら、それは、我々の主流映畫がひどい出來であると証明しているだけだ」と語った。また、「青春映畫が疎まれるのは、結(jié)局のところ健全な市場において脇役なのに、主役の座を奪ったからだ」とし「1、2本の映畫が記録的ヒットを上げるのならまだ受け入れられるが、どれもこれもヒットするという現(xiàn)象は正常ではない。映畫市場が正常な狀態(tài)に戻り、主流映畫が全體的な力を発揮することを待ち望んでいる」と語った。
■「良い青春映畫とは、恐らく社會映畫だ」
かつての中國にも青春映畫はあった。映畫評論家?韓浩月氏は、「例えば、姜文(ジャン?ウェン)監(jiān)督の『太陽の少年』や王小帥(ワン?シャオシュアイ)監(jiān)督の『北京の自転車』は、青春の芳醇な香りをうまく表現(xiàn)した作品だった」と語る。現(xiàn)在の中國映畫はまさに青春映畫が求められている初期の段階にあり、もしこのジャンルをうまく大きな流れに変えられなければ、この青春映畫というジャンル自體が飽きられ、廃れてしまうだろう」と指摘する。
韓氏は、「青春映畫は、テンポや雰囲気のほかにも、若者の心理を正確に把握しなければならない。また、その世代の時代背景に対する分析も行う必要がある。良い青春映畫とは、恐らく社會映畫であり、観客にキャラクターがなぜそのような生き方をしているのかを理解させなければならない。次に、もし小説を原作として映畫化する場合、小説のストーリーを単純に頭から終わりまで通り一遍に描くのではなく、映畫の手法で表現(xiàn)しなければならない。映畫は物語を再構(gòu)築する過程をたどるべきであり、小説を超えなければならない」と語った。(編集MZ)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年5月7日
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