中國內(nèi)モンゴルへの派遣が決まった時(shí)、私はまだタイで日本語教師をしていましたが、その際中國の対日感情悪化のニュースに接したのを覚えています。今思えば、蒸し暑い國から寒く乾燥した地域へ、親日と言われるタイから中國への移動は大きな挑戦だったように思います。
そんな私が中國に來てからボランティアとして活動した2年間を簡単にまとめたいと思います。
內(nèi)モンゴル自治區(qū)赤峰市は內(nèi)モンゴルの中でも北京に近い都市で、漢族とモンゴル民族が暮らしていて、草原もあり、砂漠もある地域です。その赤峰市の中心部にある赤峰學(xué)院へと配屬されました。草原?砂漠と言っても中心部は栄え、高層ビルも多く欲しいものは簡単に手に入る環(huán)境でした。
配屬先は2つあり、赤峰學(xué)院とその附屬中學(xué)でした。しかし、配屬直後に附屬中學(xué)擔(dān)當(dāng)の先生から「日中関係の影響から日本語科を廃止するかも知れない」と言われ、案の定2年目には學(xué)生は0になり、配屬先は學(xué)院一つとなりました。
外國語學(xué)科のビルの前の電光掲示板には日中関係のニュースが良く流れており、どうやってここで楽しく活動できるのか不安な日々が続きました。
そんな中、數(shù)名の日本留學(xué)経験のある方々にしばらくの間よく食事に誘ってもらったり、買い物に付き合ってもらえることが相次いでありました。彼らは中國の奢る文化からか、私から一切お金を受け取ってくれませんでした。心配になって「申し訳ないので、今日は奢らせてください?!工壬辘烦訾毪?、「私が日本で留學(xué)していた時(shí)に、同じように日本人に親切にしてもらいました。ですから、いつか日本人にお返しがしたいと思っていました?!工韧袱瑜Δ试挙蚝味趣珓e々の方からされました。
ここから私の中國でのボランティア活動の考えが変わり、活動に熱が入るようになりました。ボランティアとはただ無給で學(xué)校に言われた授業(yè)內(nèi)容を擔(dān)當(dāng)していれば良いのではなく、家族のような見返りを求めない優(yōu)しさであると感じた私は、24時(shí)間365日がボランティア活動であると考えるようになりました。
そこで、自分に設(shè)けたルールが二つあります。一つは授業(yè)で中國語を使わないこと。もう一つは平日の夜だろうが、日曜の早朝だろうが學(xué)生から連絡(luò)があれば必ず答えるということです。
一つ目の授業(yè)で中國語を使わないことは、日本語教育で言う直接話法と呼ばれるもので、環(huán)境や學(xué)生によっていろいろ意見が分かれますが、會話の授業(yè)を任された日本人の私が學(xué)生と中國語で會話していると日本人として來た意味が無い。學(xué)生は中國人教師と日本語で會話をしないので、私が唯一の日本語を使う相手である。の2點(diǎn)から考えたものです。ここで中國語を使えば、笑いが取れたり、もっと分かりやすく説明が出來るのに、と感じることが多かったですが、學(xué)生たちが中國語に頼らず頑張って日本語を使う姿が可愛くて仕方なく、めげずに頑張れています。
二つ目は、ボランティアならではであると感じます。給料をもらっているからこそ勤務(wù)時(shí)間外労働を嫌がったり、仕事であると強(qiáng)く感じるからこそ休日は休みたいと感じるのであって、家族のように皆と赤峰學(xué)院と言う場所で一緒に生活しているんだと思えば楽でした。こちらはそう思っていても、學(xué)生たちはやはり私を教師として見るので、殘念ながら學(xué)生から誘われることはあまりありませんでしたが、家で餃子を作ったり、山登りをしたり、食堂でご飯を食べたり、色々なことをしました。
この意識の変化から1年後、徐々に學(xué)生たちにも変化が出始めました。大きな変化では、ウェイシンで中國語を使わず話をしてくれるようになったこと、中國語で中國人の教師に質(zhì)問した方が早いのにわざわざ日本語で文法について質(zhì)問してくれるようになったこと、そして將來の進(jìn)路?就職相談を持ちかけられるようになったことが挙げられます。
給料をもらっていたら、仕事と割り切ってしまって、ここまで學(xué)生たちと関わった活動はできなかったように思います。これがボランティアの魅力なのでしょう。
2年を通して私と関わった人は、主にもともと日本に興味のある日本語學(xué)科の學(xué)生や外國に興味のある學(xué)生たち、日本滯在経験がある先生たちであり、私が関わらなくても日本や日本人に対する考えは大きく変わらなかったと思います。一方、日中関係の影響から、今でも、活動外の中國人に私は日本人です、と自己紹介するのに躊躇してしまうことも事実です。そのため、配屬先関係者以外の人々と交流?相互理解の機(jī)會を十分に持てたと言えませんが、日本人日本語教師ボランティアとしての活動はすることが出來たのではないかと満足しています。
平成25年度 青年海外協(xié)力隊(duì)員 日本語教師 浦井智司
「人民網(wǎng)日本語版」2015年8月27日
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