見(jiàn)どころやセールスポイントがある作品というのは、視聴者に今までにないフレッシュな體験を提供できる作品だ。新しいストーリーが常に模索されているからこそ、映畫(huà)?ドラマ作品はどれだけ歴史を重ねても魅力を保つことができ、現(xiàn)在までその衰えをみせていないのだ。しかし、中國(guó)版「深夜食堂」は、中國(guó)の多くの人にとって既に馴染みのある作品のリメイク版で、各シーンや登場(chǎng)人物のキャラクターは原作を意識(shí)しすぎており、それを見(jiàn)た視聴者はまずマンネリを感じてしまう。また、中國(guó)人の役者であるにもかかわらず、中國(guó)人らしさがなく、わざとらしさやいかにも「作っている」感を醸し出している。リメイク版であるため、ストーリーのローカライズには取り組んでいるものの、表面的な部分に新鮮味はなく、マンネリを感じさせてしまっているため、せっかくローカライズされているストーリーに、視聴者が興味を持つことができなくなってしまっている。
夜の中國(guó)の都市には、どんなドラマがあるのだろうか?「早朝4時(shí)の北京」や「北京で、仮面をかぶって生活している2000萬(wàn)人」などの大きな話題となった文章、さらに、運(yùn)転代行サービスの運(yùn)転手と客をめぐる物語(yǔ)を描いた映畫(huà)「DRIVING FOR YOU ALL NIGHT」などは、都市に住む人々の姿や様子を描いている。中國(guó)の深夜食堂にも、酔いが回っている人、家に帰りたくない人、悩みを抱えている人がたくさんいる。ただ、それら物語(yǔ)を、日本の作品「深夜食堂」を使って語(yǔ)るというのは適切ではない。表面的なものにこだわったり、何かをコピーしたりするというやり方よりも、都市の人々が深夜にさらけ出している本當(dāng)の狀態(tài)をそのまま伝えるほうがはるかに良いだろう。
現(xiàn)在、中國(guó)の都市は、「ナイトタイムエコノミー」や「深夜食堂」などに対する注目度が非常に高まっており、政府の公文書(shū)にさえこうしたワードが登場(chǎng)するようになっている。ドラマというのは、往往にして、人々が自ら集まってくる過(guò)程で起こるもので、「深夜食堂」だけでは、たくさんのドラマが起きることはない。それだけでは、夜間のさまざまな人のさまざまな姿を描くことは決してできない。そのため、「深夜食堂」のリメイク版製作は、梁家輝の中國(guó)版映畫(huà)製作で終わりにしたほうがいい。映畫(huà)?ドラマ関係者は、夜の「食堂」から抜け出し、もっとおもしろい物語(yǔ)を発掘しなければならない。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年9月4日