2017年5月5日午後2時、中國國産大型旅客機「C919」の第1號機が上海浦東國際空港の第4滑走路から大空へ飛び立った。9年に及ぶ研究開発、數(shù)えきれないぐらい行われたテストと技術面の調整の後、大空を飛び回る大型旅客機の中に中國國産機が仲間入りを果たし、中國は世界でもごく少數(shù)の大型旅客機を開発製造できる國の一つになった。人民日報海外版が伝えた。
それから2年あまりがたった。C919は耐空証明書をいつ取得するのか、中國人はいつ國産大型旅客に乗ることができるのか。中國商用飛機有限責任公司をこのほど現(xiàn)地で取材した。
運10:イノベーションの遺伝子を殘した、國産機商用化の試み
同公司傘下の上海飛機製造有限公司の浦東基地を訪れると、白いボディに青いラインを塗裝した大型旅客機が工業(yè)パークの芝生の上でひっそりと深い眠りについていた。尾翼には鮮やかな赤色の國旗が描かれている。この世界で唯一無二の大型旅客機は、30數(shù)年前には中國の大空を飛び回り、「運10」と呼ばれていた。
1970年8月、周恩來総理の承認を受けて、國は上海市で輸送機を試験的に製造することに同意し、當時の航空工業(yè)部が一括して任務を請け負うことになった。任務は「708プロジェクト」と名付けられ、機種コードは「運10」になった。統(tǒng)計によれば、當時、全國21省?自治區(qū)?直轄市の工場、科學研究機関、大學など約300ヶ所が研究製造プロジェクトに參加したという。
80年9月26日、運10は上海で初飛行に成功した。その後、中國の東西南北の空を翔け回り、北京、哈爾浜(ハルビン)、烏魯木斉(ウルムチ)、広州、昆明、成都、合肥、鄭州など10都市に就航し、1回の飛行時間は最長で4時間39分に達し、3時間42分にわたって高度3600メートルを航行する科學研究テストを遂行し、性能も使用に際しての特性も完全に設計要求を満たした。7回にわたりヒマラヤ山脈を越えて西蔵(チベット)自治區(qū)まで行き、緊急救援物資40トンあまりを屆けた。
運10プロジェクトはさまざまな理由で、商用化には至らなかったが、「獨立自主、大きな力で協(xié)同、無私の貢獻、絶え間ないイノベーション」という運10の精神は大型航空機に関わる次の世代の人々へと受け継がれていった。
00年2月、國は國産民用航空機の製造を支持し、リージョナル(支線)航空輸送の発展を加速させると決定した。02年6月には、國家発展計畫委員會がリージョナル機の新プロジェクト立ち上げを正式に認可。その成果は今、中國の青空を飛び回る新型リージョナルジェット機「ARJ21」として見ることができる。ARJ21は「Advanced Regional Jet for 21st Century」の略で、21世紀の先進的なジェットリージョナル旅客機を意味する?!窤RJ21-717」は基本型で、中國で初めて國際的に通用する航空機の耐空性管理條例を厳格に踏まえて研究開発と製造が行われたリージョナルジェット旅客機だ。