四川大地震から丸12年を迎えた5月12日は、12回目の中國全國防災(zāi)減災(zāi)デーでもある。人民網(wǎng)が各社の報(bào)道をまとめて報(bào)じた。
2008年5月12日、午後2時(shí)28分4秒、四川省■川県(■はさんずいに文)でマグニチュード(M)8.0の大地震が発生し、約7萬人の命が奪われた。あの年、多くの人が、「明日と不測(cè)の事態(tài)のどちらが先に來るか分からない」ということをようやく身をもって認(rèn)識(shí)するようになった。
2008年5月14日、■川地震で負(fù)傷した男の子(撮影?鄒憲)。
2008年5月16日、地震で家屋が倒壊し、泣き崩れる■川県映秀鎮(zhèn)の男性2人(撮影?盛佳鵬)。
そしてあの年、私たちは身の危険を顧みずに救援のために奮闘する人々、互いに支え合う人々の愛をもこの目で見ることになった。
大地震発生後、十?dāng)?shù)萬人もの救助隊(duì)が要請(qǐng)に応じて被災(zāi)地に入った。
2008年5月17日、■川県映秀鎮(zhèn)で、負(fù)傷した村民をヘリコプターで病院に搬送する解放軍の兵士ら(撮影?郭國権)。
2008年5月19日、北京市の天安門広場で地震の犠牲者に黙とうする追悼式が開催され、右手を高く突き上げて故郷にエールを送る四川省出身の男性(撮影?富田)。
2009年1月2日、我が子をおんぶし、解放軍が家屋の再建のために無料で提供したレンガの前に立つ北川県の女性(撮影?賈國栄)。
■川、北川、青川、綿竹、什▲(▲は方へんにおおざと)、都江堰などの地名は、あまり知られていなかったところも以前から有名だったところもあるが、この大地震がきっかけで1つに関連付けられるようになった。あれから12年が過ぎ、地震で破壊され廃墟と化した所にも緑が茂り、ビルが立ち並び、當(dāng)時(shí)満身創(chuàng)痍だった被災(zāi)地は活気を取り戻している。
2009年9月2日、他校の校舎を借りて登校を再開した■川映秀小學(xué)校の小學(xué)生約100人(撮影?劉忠?。?/p>
2012年10月30日、再建がほぼ終わり、パンダ18匹が戻ってきた四川臥龍中國ジャイアントパンダ保護(hù)研究センター(撮影?衡毅)。
2018年3月22日、上空から撮影した四川省徳陽綿竹市清平鎮(zhèn)。同村は既に「生態(tài)観光村」になっている(撮影?劉忠?。?。
ここで、被災(zāi)地の震災(zāi)前と震災(zāi)後の衛(wèi)星畫像を見てみよう。
■川県映秀鎮(zhèn)
北川県
綿竹市漢旺鎮(zhèn)
生き殘ったからには、生き生きと日々を送らなければならない。大地震を?qū)g際に體験した人々は、実際の行動(dòng)で、「一度きりの人生だからこそ、たゆまず努力していくべきだ」と教えてくれている。
地震で左手を失いながらも、絵の教師?阿旦さんの指導(dǎo)の下、絵の練習(xí)をする雍茜さん(2014年8月15日撮影?陳超)。
地震で左手を失い、スマート義手を裝著してパソコンを操作する馬元さん(2018年5月10日撮影?劉忠?。?/p>
「5?12」四川大地震から丸12年。ともに犠牲者を追悼し、被災(zāi)地の再生に敬意を!
「人民網(wǎng)日本語版」2020年5月12日