2005年5月19日、91歳の元日本軍兵士である本多立太郎氏が北京の盧溝橋を訪れて謝罪した。(右一は方軍氏)■取材後記:戦爭を経験した人全員が戦爭を憎む
方氏は中國を侵略した日本の元兵士について觸れた際に、日本全體の戦爭に対する認(rèn)識はいくつかに分かれるが、戦爭を経験した人全員が戦爭を憎んでいると指摘した。これには田中角栄、大平正芳、中曽根康弘といった元総理が含まれる。
方氏によると、中曽根康弘は海軍主計中尉で、42人の同級生のうち、中國を侵略した戦爭の中で24人が命を落としたという。田中角栄は戦爭中に、関東軍の騎兵部隊に所屬していた。所屬部隊が中國東北部に上陸し、河北省に迫ろうとする頃、彼は高熱を発し、病人として帰國させられた。田中角栄もかつて中國を侵略した日本兵であったが、その後は中日友好に多大な貢獻(xiàn)をしている。大平正芳も戦爭を経験したが、その後は中日友好に盡くした。方氏は他にも日本の元兵士を取材したが、誰もが次のように言ったという。中日は二度と戦爭をしてはならず、戦爭では問題を解決できず、いかなる問題を解決したこともないと。
方氏は、日本人(右翼を含む)は戦爭に參加した元兵士の考えに耳を傾け、田中角栄、大平正芳、中曽根康弘といった戦爭に參加した政治家が、中日友好の促進という歴史の中で何をしたかを知るべきだと指摘した。特に現(xiàn)在の日本の政治家は、前の世代の人々がしたことを総括するべきだ。中國との友好的な交流こそが、唯一の発展の道なのだ。(人民網(wǎng)記者 陳建軍)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年2月27日
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