読書する、新聞を読む、テレビを見る-とても規(guī)則的な毎日を送る鄒道本氏
【「歴史反革命分子」「右派」:一時(shí)は無収入に】
1945年、中國は抗日戦爭(zhēng)に勝利した。鄒道本氏は上海に戻り、空軍工兵本隊(duì)に職を得た。この時(shí)、彼はすでに中佐になっていた。その數(shù)年後、國共內(nèi)戦が勃発した。1949年5月、上海が解放された。國民黨の兵士として、鄒道本は他の兵士とともに臺(tái)灣に撤退するチャンスがあった。だが、彼は、「當(dāng)時(shí)の國民黨は腐りきっていた。私はもはや、そこに居続けることは耐えられないと感じた。その後、解放軍による宣伝アナウンスを聞き、上海に留まることにした」と語った。このような決斷をしたことから、國民黨軍上??哲娝玖罟俨郡槊{されるという経験もした。
舊抗日兵である鄒道本氏が、その後何度も、いろいろな運(yùn)動(dòng)を「率先して進(jìn)める」ことになろうとは、予想もつかないことだった。
「私は國民黨で仕事をした経験があり、中佐という軍人階級(jí)だった。こうして、『歴史の反革命分子』と『右派』という2つの『帽子』がかぶせられ、しばらくの間、公職を奪われることとなった」と氏は話した。
混亂を鎮(zhèn)めて正常に戻すという歴史的意義を持った第11期第3回中央委員會(huì)全體會(huì)議が開催され、第55號(hào)文書で右派問題の処理に関する決定が実施され、鄒道本の名譽(yù)はようやく回復(fù)、高級(jí)技師という職名と相応の収入が約束された。
名譽(yù)を回復(fù)した後、氏は遼寧省朝陽市道路管理処で仕事に就き、1986年の定年退職まで勤め上げた。退職後、ふたたび上海に戻った。
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386