▽世代を越えて受け継ぐ交流活動
尾形氏は過去30年で200回余りにわたって中國を訪れてきた。中國に対してはまさに大國であるという印象を持っている。初めて中國を訪れて北京の故宮と長城に行った時には、中國の古代文明のスケールの大きさに圧倒され、「日本はなぜこのような(輝かしい文明を持った)國と戦爭を起こしたのか」と思った。中國と日本はいずれも「漢字圏」に屬し、文化的にも近い。歴史を振り返っても、日本は中國から多くのことを?qū)Wんできたし、近代には中國も日本から多くを?qū)Wんだ。中國と日本は本來、相互理解の容易な國同士であるはずだ。
尾形氏は、恩師の笹川良一氏が鄧小平氏との會談で語った言葉を今もはっきりと覚えている?!甘澜缙胶亭摔趣盲皮膝ⅴ弗ⅳ伟捕à匾?。アジアの安定にとっては中日関係の安定が重要となる」。鄧小平氏はこの見方に賛同し、この一致が笹川日中友好基金設立の前提となり、尾形氏が中日友好交流に攜わる上での信念となった。
笹川日中友好基金の今後の目標について、尾形氏ははっきりと、中日両國の交流を絶えず推進していくことだと語った。國民は一代一代と入れ替わっていくものであり、國家と國家の間の交流は長期的に持続させていかなければならない。相互理解はそれぞれの代の人々が絶えず推進しなければならないものだ。日本の首脳は時折、歴史問題についての言論で物議をかもす。だがそれで交流活動を停めてしまっては、中日関係の発展はますます困難となる。尾形氏は、日本は歴史を正視し、隣國と世界のほかの國々と交流し、ともに繁栄を求めていかなければならないと考えており、ほとんどの日本人は同じように考えているはずだと語った。
▽尾形武壽氏略歴
日本財団の笹川良一會長と1984年に初めて中國を訪れて以來、財団の関連部門を率いて対中友好交流事業(yè)に盡力してきた。中日最大の民間交流基金「笹川日中友好基金」の設立に中心となってかかわる。中國の10大學の優(yōu)秀な若者に対する奨學基金の設立、中國の市長の訪日交流プログラムや中日防衛(wèi)人員の交流プログラム、中國人醫(yī)師を養(yǎng)成する笹川醫(yī)學奨學プログラムの展開、中國の大學への日本語研究図書の寄贈事業(yè)の推進などを行ってきた。中日関係が谷間に陥った時には、中國の多くの大學で講演を行い、中國の若者に日本人の考えを説明し、中日間の民間交流の重要性を訴えている。2014年、笹川日中友好基金運営委員長に就任。(編集MA)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年1月15日
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