クライアントの會(huì)社で日本から取り寄せた工業(yè)用ブラシを何度も目にした。もちろん、その品質(zhì)は中國(guó)製より高い。それは、高品質(zhì)というよりは、「蕓術(shù)品」と言ってもいいほどだ。中國(guó)の企業(yè)が作る商品の多くは、機(jī)能だけに注目し、見(jiàn)た目やそれがもたらす快適度などにはあまり気が配られていない。しかし、日本の企業(yè)はその面に工夫を凝らしている。あまりに美しいため、使うのがもったいないと感じるほどだ。しかし、美しさにはデメリットもある。そのような高品質(zhì)の製品の多くは、従業(yè)員の少ない會(huì)社で作られ、自動(dòng)化が進(jìn)んでいないため、大量生産が難しく、生産コストが高くなってしまう。
考えなければならないのは、工業(yè)用ブラシは、工場(chǎng)で使う道具の一つに過(guò)ぎず、消費(fèi)財(cái)ではないため、外観は重要ではない點(diǎn)だ。全ての商品を「蕓術(shù)品」のように作る必要はない。職人が緻密さを追求するのはもちろんいいことがだが、クライアンがそれを求めて買(mǎi)ってくれることが前提となる。
筆者は臺(tái)灣系の受託製造メーカー(電子系)で1年働いたこともある。生産において、「完璧」を求めると効率が下がり、多くの浪費(fèi)につながることを身にしみて感じた。例えば、液晶モニターの外側(cè)の色を変えるだけで、「新製品」と見(jiàn)なされ、全てのテストを1から行う。外側(cè)とまったく関係のない電子部品であっても、もう一度テストしなければならず、その全てがコストとなる。
「匠の精神」があれば、より完璧に近い製品を作ることができる。だが一方で、コスが上がれば收益が減るという法則が働き、品質(zhì)を一定まで向上させ、「匠の精神」を発揮して「完璧」を求めると、得よりも損のほうが大きくなってしまうだろう。湯之上氏が、「性能と指標(biāo)を過(guò)酷なまでに追求した結(jié)果、市場(chǎng)の実際のニーズのレベルを軽視し、必要のないコストを投入した」というのは、そのような意味だ。コストをないがしろにして作った「蕓術(shù)品」は、「ぜいたく品」に近く、コストパフォーマンスを気にしない大金持ちしか必要としない。市場(chǎng)全體を見(jiàn)れば、コストパフォーマンスを求めないクライアントの割合は非常に低い。
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