【はじめに】中國(guó)共産黨創(chuàng)立100周年祝賀大會(huì)で、習(xí)近平総書(shū)記は、黨と人民を代表して、「全黨、全國(guó)の各民族の人民の持続的な奮闘を経て、中華の大地で小康社會(huì)(ややゆとりのある社會(huì))を全面的に完成させるという1つ目の100年の目標(biāo)を達(dá)成し、絶対的貧困の問(wèn)題は歴史的な解決をみた。今は、社會(huì)主義現(xiàn)代化強(qiáng)國(guó)を全面的に完成させるという2つ目の100年の奮闘目標(biāo)達(dá)成に向けて、意気揚(yáng)々と邁進(jìn)している」と厳かに宣言した。
小康社會(huì)の完成度は、農(nóng)村を見(jiàn)れば分かるものだ。農(nóng)業(yè)が発展しているか、農(nóng)村が美しいか、農(nóng)民が豊かな生活を送っているかなどは、小康社會(huì)の全面的な完成の質(zhì)と社會(huì)主義現(xiàn)代化の質(zhì)を左右する要素となる。
人民網(wǎng)日本語(yǔ)版では、「農(nóng)村を訪ねて『小康』を感じよう」をテーマにしたシリーズ記事を掲載し、中國(guó)の広大な農(nóng)村で生じている生産や生活における大きな変化、そして人々がしっかりと実感している獲得感と幸福感、安心感を紹介していく。また新時(shí)代における美しい農(nóng)村ののどかな風(fēng)景や小康社會(huì)を全面的に完成させた農(nóng)村の物語(yǔ)を描き出していく。
山東省新泰市羊流鎮(zhèn)の多くの村では、ほぼ誰(shuí)でも麥わらで団扇を編むことができる。作業(yè)には14の工程があり、1本1本の麥わらが編まれて美しいデザインの団扇になると、ECという「急行車線」に乗って全國(guó)各地へ運(yùn)ばれていく。農(nóng)民たちは器用な手先で豊かさに至る道を切り開(kāi)いている。
現(xiàn)在、同鎮(zhèn)と周辺の郷?鎮(zhèn)には、麥わら加工を?qū)熼Tに扱う工場(chǎng)が50ヶ所以上あり、関連産業(yè)に従事する女性が10萬(wàn)人を超え、年間の付加価値額は2千萬(wàn)元(1元は約16.9円)以上に達(dá)する。
同省泰安市の無(wú)形文化遺産となった麥わら団扇工蕓技術(shù)の4代目の継承者である張蓉蓉さんは、2017年に都市部での仕事をやめ、郷里に帰ってECで麥わら団扇を販売する事業(yè)を始めることを選択した。
現(xiàn)地の村民に麥わら団扇の作り方を教える張蓉蓉さん(撮影?郝學(xué)娟)。
張さんは、「麥わら団扇にはいろいろと美しいデザインがあり、すべて手作業(yè)で作られ、軽くて環(huán)境に優(yōu)しく、あおげば麥わらの爽やかな香りが広がる。ここ數(shù)年、消費(fèi)者にとても人気がある。これまでにECなどの方法で14萬(wàn)本近くを売り上げ、今も注文が次々に入る狀態(tài)だ」と話した。
現(xiàn)地の村民が麥わら団扇を編む様子(撮影?郝學(xué)娟)。
記載によると、新泰市の農(nóng)村の麥わら団扇の手工蕓は清の乾隆帝の時(shí)代に始まり、280年以上の歴史があるという。この伝統(tǒng)工蕓を保護(hù)し継承するため、同市は2018年に麥わら団扇を市の無(wú)形文化遺産に登録した。19年には泰安市も同市の無(wú)形文化遺産に登録し、麥わら団扇の継承とPRにとって政策面での力強(qiáng)い支えになるとともに、麥わら団扇産業(yè)の発展に「カンフル剤」を打ち込むことにもなった。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2021年8月3日