北京に來てまだ5カ月。発音も聲調(diào)もまったくわからないまま、初級クラスで一から中國語を?qū)Wびはじめた向井さんは、この時期新たな生活に向けて踏み出そうとしていた。
――実は、寮を出て1人暮らしをすることにしたんです。つい數(shù)日前に引越しをしました。寮は門限も早いですし、執(zhí)筆活動に集中したかったこともあって。通常のマンションに引越しをするという選択肢もあったんですが、やはり今後消えていくだろう胡同の風(fēng)景や生活を目に焼き付けておきたくて、大學(xué)からも程近い胡同の中の部屋を借りました。
でも、ちょっと早かったかなと後悔してます。あまりにも理不盡なことが多くて。洗濯機(jī)が壊れていたので、大家さんに換えてもらうよう掛け合って、手配をしてもらったんですけど、業(yè)者から連絡(luò)が來ないんです。もう3日目になります。昨日もう一度確認(rèn)をしたら今日の朝來ると言ってたのですが、まだ連絡(luò)がなくてー。
と、どこか落ち著かなさそうな向井さん。午後1時をゆうに過ぎた頃、電話が鳴った。業(yè)者の人からだ。そこで、新しい部屋に移動して、洗濯機(jī)を待ちながら取材することになった。
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大阪蕓術(shù)大學(xué)の同級生だった山下敦弘監(jiān)督とコンビを組み、數(shù)多くの映畫の腳本を手掛け、活躍してきた向井さんがなぜ今北京にいるのか。実は、山下監(jiān)督からもいまだに、「お前何のために中國に行ったんだよ」と不思議がられているのだという。
――文化庁の海外研修制度のことはすでに十?dāng)?shù)年前から知ってました。いつかこの制度を利用して海外に出て見たいと思いつつも、コンスタントに仕事をして、生活も安定していく中、なかなかそのタイミングが見つかりませんでした。
ただ腳本家としての仕事は順調(diào)でしたが、近年日本の映畫界はベストセラー小説や人気漫畫の映畫化など観客の數(shù)が読める手堅い企畫が増え、オリジナル腳本自體が以前と比べて減ってしまいました。そういう中で、僕自身も原作ものの腳本を手掛けることが多くなり、まるで自分が機(jī)械のネジになったような気がしてきて、もっとオリジナル性の高いものを書きたいという思いが強(qiáng)くなってきたんです。
そんな頃、私生活でも変化があって、海外に出るなら今しかないと思い、海外研修制度に申請することにしました。
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