ただ最近、少し感じている問(wèn)題は、書(shū)記や省長(zhǎng)といった中國(guó)の地方政府トップがなかなか訪日されないことです。公費(fèi)の亂用が問(wèn)題視され海外出張などの費(fèi)用が厳正化されていることや、日本に行って何かトラブルがあったらどうしようかといった危懼を持たれていることもその背景かと思います。ただ、交流とは、青少年交流や文化交流といったものだけでなく、それぞれのトップ自ら相互に行き來(lái)するというのがとても大事だと思いますし、日本側(cè)からは知事が出かけていくのに、中國(guó)側(cè)のトップは何故訪日しないんだ?、もうこちらから行く必要はないんじゃないか?といった聲も出てきかねません。是非、中國(guó)の地方政府のトップの方々にも日本の友好都市などをもっと訪問(wèn)していただきたいなと願(yuàn)っています。
もともと寺崎さんが國(guó)家公務(wù)員を目指すきっかけとなったのは、中學(xué)1年生の時(shí)に読んだ吉村昭著「ポーツマスの旗」という本を読んだことだった。これは、外相?特命全権大使だった小村壽太郎が日露戦爭(zhēng)後、ポーツマス條約を締結(jié)するまでの交渉を描いた本だ。
――昔から読書(shū)好きで、中學(xué)の時(shí)は図書(shū)館にある本をかたっぱしから濫読してました。歴史が好きだったので、ポーツマス條約のことは知っているけど、この本は何だろう?と気になってたまたま手にとって読んだのが、「ポーツマスの旗」でした。
日露戦爭(zhēng)が終わったとき、日本の世論は大國(guó)ロシアに勝ったのだから、賠償金や領(lǐng)土をたくさん獲得できると考えていました。しかし実際は、日本の國(guó)力はほぼ盡き、戦爭(zhēng)継続は選択肢になく、講和條約を成立させることが不可欠な狀況下にあったのです。こうした事実を知らない人々は、苦渋の決斷でポーツマスで講和を成立させて帰國(guó)した小村壽太郎に罵聲を浴びせ、その私邸に投石したといいます。
少しヒロイズム的ではありますが、國(guó)民感情とは別のところに、國(guó)家のために冷徹な判斷をして、そのために罵聲を浴びても耐えらなければならない人がいる、そういう仕事があるんだと感動(dòng)しました。自分も同じく、國(guó)のための仕事がしたい、と思ったんです。
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