歴史をおろそかにすることの危険は、知識(shí)が抜け落ちてしまうということだけにあるのではない。過(guò)去に経てきた困難や危険を知らなければ、現(xiàn)在の出來(lái)事を単獨(dú)で認(rèn)識(shí)するしかなくなる。理想化された概念からの認(rèn)識(shí)に傾き、地に足のついた「理解して同情する」という態(tài)度が取れなくなる。そうなれば自國(guó)に合わないユートピアを自らの桃源郷と思い込んでしまう危険も生まれる。
本國(guó)の歴史をおろそかにする危険は深刻である。長(zhǎng)期にわたって文化に親しみ、薫陶されることがなければ、価値の共有は実現(xiàn)できない。同じ想像の産物でも、「嫦娥が月に上った」という伝説は迷信になり、「トランスフォーマーが月に上った」という話は科學(xué)的なものだと思い込む。それも仕方がないだろう。子供はお守りをする者になつくものだ。
こうした狀況の改善は、「戚継光に銃口を塞がせない」ことから始めるしかないだろう?,F(xiàn)実的な歴史に基づく題材をテレビではもっと取り上げるべきだ。倭寇に対する幾多の戦役は「桶狹間の戦い」や「信長(zhǎng)の野望」よりも中國(guó)の子どもたちの関心に値するだろう。
そんなことをしても子供は見ないから無(wú)駄だ、という人もいるかもしれない。それは柔軟性を欠いた認(rèn)識(shí)だとも言えるし、われわれの注意を促しているとも言える。民族や歴史にかかわるメインストリームの蕓術(shù)作品を、つまらない?説教くさい?影響力がないという泥沼から、なんとかして救い出さなければならない。
そのためにはどうすればいいのか。願(yuàn)望だけ抱いているのではなく、蕓術(shù)の伝播の法則に従って事を進(jìn)める必要がある。筆者は排外主義を主張するものではない。またアニメを歴史講座にして毎日これで教化をはかれと主張しているのではない。ただ訴えたいのは、フライパンで夫をひっぱたく狼(國(guó)産アニメ「喜羊羊と灰太狼」)や貓をぺちゃんこにする鼠(「トムとジェリー」)だけ見ていたのでは何か足りないのではないのかということだ。戚継光や文天祥、孔子や老子を題材にした作品があれば、子供たちにとってはもっと良いパートナーとなる。これらの作品はほかの作品と違い、子供たちの一生の良き導(dǎo)き手になってくれるはずだ。(編集MA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年12月11日
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