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日本人研究者の「中國でのスローライフ」

國際的視點で歴史を読み解き、交流促進の架け橋を築く

人民網(wǎng)日本語版 2020年01月03日11:36

學(xué)生と研究內(nèi)容についてディスカッションする菅原純教授(畫像提供?取材対象者)。

2年あまり前から中國西北部にある蘭州大學(xué)で教鞭をとる日本人の菅原純教授は、「ようやくゆったりした生活を送ることができるようになった。ここでは、落ち著いて読書や授業(yè)に集中し、學(xué)生たちとともに文獻を研究し、民族史の本來の姿を留める作業(yè)に打ち込める」と嬉しそうに話した。菅原教授は、まるで架け橋であるかのように、中日両國の大學(xué)や研究機関をつなぎ、學(xué)術(shù)會議や講座、授業(yè)などさまざまな形で雙方の交流を推し進めてきた。中國新聞網(wǎng)が報じた。

菅原教授は巖手県水沢市(現(xiàn)?奧州市)の出身で、2017年4月に蘭州大學(xué)西北少數(shù)民族研究センターの教授に就任した。中國の大學(xué)で數(shù)少ない外國人の常勤教授の一人である菅原教授が中國で教鞭をとるようになったきっかけは、中國古代史に対する興味だった?!父咝I螘r、日本の作家が書いた『司馬遷伝』を読み、大いに興味をそそられた」と菅原教授は言う。

1980年代、中國史を?qū)g感したいと考えた菅原教授は中國を訪れた。香港、広州、西安、烏魯木斉(ウルムチ)、喀什(カシュガル)各地を?qū)g際に訪ねたことで、菅原教授は思いがけず中國西北部の多民族文化にすっかり魅了されてしまった。そして大學(xué)院の博士課程で學(xué)んでいた1993年から1995年にかけて、新疆維吾爾(ウイグル)自治區(qū)に留學(xué)した。

日本へ帰國した後は、東京外國語大學(xué)アジア?アフリカ言語文化研究所研究員、國際情報化協(xié)力センター主任研究員、東京外國語大學(xué)アジア?アフリカ言語文化研究所産學(xué)官研究員、東京外國語大學(xué)大學(xué)院総合國際學(xué)研究院研究員を歴任、多くの中國人研究者と知り合い、交流と友情を深めた。

菅原教授が知り合った中國人研究者の一人に、蘭州大學(xué)西北少數(shù)民族研究センターの王健教授がいる。共通の趣味を持つ彼らは友情を深め、長年の親友となった。2人の教授は、中國語と日本語、ウイグル語の各言語を常に自由自在に切り替えてコミュニケーションを取っている。

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