丁氏は、「産業(yè)が盛んな省である広東省にも似たような狀況がみられる。たくさんの『小規(guī)模だが強(qiáng)みをもった』中小企業(yè)がより多く育成され、産業(yè)の質(zhì)の高い発展を推進(jìn)する重要なルートとなっている」と述べた。
▽大企業(yè)とともに利益共同體を構(gòu)成
日本の中小企業(yè)はつまるところどれほど専念しているのか。東京都大田區(qū)にある信栄技研工業(yè)は社員10人ほどの町工場で、數(shù)十年にわたりひたすら板金に専念してきた。鉄、ステンレス、合金、カーボンなど各種材料に板金加工を施し、直徑0.5ミリメートルのシャープペンシルの芯に直徑0.3ミリメートルの穴を120個開けることもできる。その板金技術(shù)が精密さを増すのにともない、日本の大企業(yè)の液晶パネルや電子顕微鏡にとって同社との提攜が不可欠になっていった。
丁氏は、「多くの企業(yè)は世間がまったく注目しない分野からスタートし、數(shù)十年にわたって日々研鑽を積み重ね、どこまでも精密さを求めて、ついにブレークスルーを起こすことが高く評価される。1つの分野に専念して競爭力を構(gòu)築したのは、日本の多くの優(yōu)れた日本企業(yè)がみな、価格、生産規(guī)模、製品の種類では大企業(yè)と競爭しても勝てないことをよく知っていたからだ。そこで生産技術(shù)のウェイトが低く、価格戦爭に巻き込まれる可能性のある製品は避けた。一方、こうした企業(yè)は他企業(yè)が勝てないほどの専門的な技能を身につけるために努力を重ねた」と述べた。丸川氏は、「ここ數(shù)年、日本企業(yè)の國際特許出願件數(shù)はずっと世界2位であり、1位の米國にますます近づいている。出願の中心になっているのは中小企業(yè)だ」と述べた。
実際、日本の中小企業(yè)の位置づけは、日本の産業(yè)構(gòu)造のモデル転換と関係がある。1980年代初頭、海外に工場を建設(shè)する各業(yè)界のリーディングカンパニーが増えるのにともない、日本の中小企業(yè)の受注量は減少を続けた?;盥筏蚯螭幛啤⑷毡緡鴥?nèi)の中小企業(yè)は「獨自の道を切り開く」しかなかった。1968年創(chuàng)業(yè)の浜野製作所などは、大企業(yè)からの受注がなくなりモデル転換を迫られる中で、試作板金(製品の形狀が確定していない時點で作成する原型となるサンプルの型や機(jī)械)に取り組み、引き渡しまでの期間を極限まで短縮して、顧客をそれまでの4社から1500社へと拡大する奇跡を成し遂げた。
日本での調(diào)査研究でわかったことは、中小企業(yè)が技術(shù)や製品に専念できたもう1つの重要な原因は、直面した市場環(huán)境と関係がある。富士インパルス株式會社の山田哲郎社長は、「研究開発と製品をしっかりやることだけ考えて、どうやったら売れるかということをあまり考えてこなかった」と述べた。中國企業(yè)からみると不思議に思えるこうしたやり方が、100年の歴史をもつ同社の経営の要諦だという。