2019MTA音楽祭
長(zhǎng)年にわたり、中國(guó)ではごく普通の、愛(ài)らしい日本の若者たちが常に活躍してきた。彼らは自身の知識(shí)と熱意を中國(guó)の地に捧げてきた。彼らの中には社會(huì)人になったばかりの若者もおり、中國(guó)語(yǔ)もほとんど話せないものの、努力と楽観的な姿勢(shì)で、異國(guó)の地で人としての価値を?qū)g現(xiàn)させようとしている。日本國(guó)際協(xié)力機(jī)構(gòu)(JICA)が中國(guó)に派遣するボランティアたち、それがこうした若者たちだ。ボランティアたちは通常、1~2年間中國(guó)に滯在し、そのほとんどが條件的にも厳しい遠(yuǎn)隔地や貧困地域へと派遣され、そこで教育や醫(yī)療といった業(yè)務(wù)に従事し、現(xiàn)地の人々と一緒に生活する。人民網(wǎng)日本語(yǔ)版では「中國(guó)の日本人ボランティア」コンテンツにおいて、こうした日本人ボランティアたちが中國(guó)で経験したエピソードや思いを紹介する。
今回は、環(huán)境教育協(xié)力隊(duì)の秋吉楓さんが中國(guó)で2年間にわたって青年協(xié)力隊(duì)員として活動(dòng)したさまざまな経験と感想を紹介する。秋吉さんは配屬先に著任した當(dāng)初は自分が何をすべきなのか分からず、落ち込んで悩んだという。しかし、協(xié)力隊(duì)員としての活動(dòng)を進(jìn)めるうちに、秋吉さんは次第に自信をつけ、自分は専門的な技術(shù)や知識(shí)は足りないけれど、「中國(guó)と日本との架け橋」になれるということに気付き、人を繋ぐことで、日本のノウハウを中國(guó)に伝えることができた。
MTA音楽祭でのコアスタッフ會(huì)議
コアスタッフ研修@北京
2年前、環(huán)境教育隊(duì)員というのは周囲の學(xué)校やコミュニティでごみ分別や堆肥作りのワークショップを開(kāi)催“すべき”と思い込んで中國(guó)に赴任した。しかし、いざ配屬先に著任すると配屬先のレベルは非常に高く、環(huán)境分野のエキスパートでもない私に一體何ができるのか、自分は一體何をすべきなのかわからなくなり落ち込んで悩んだ。中國(guó)最古の環(huán)境NGOである配屬先は「ワークショップを開(kāi)催する講師」を育成するほどのレベルだった。
悩んでいても何も進(jìn)まないため、まずは同僚とのコミュニケーションや配屬先の事業(yè)內(nèi)容を勉強(qiáng)することに徹することにした。すると、この老舗NGOで環(huán)境教育初心者の私に出來(lái)ることは“日本との架け橋”になることだと気づいた。それから、日本の経験、技術(shù)、知識(shí)が必要とされる部分はないか、同じような活動(dòng)をしている日本の組織と繋げられないか、と自分の活動(dòng)場(chǎng)所探しが始まった。