中國(guó)の建物は、基本、門を入ってから目的とする建物までの距離が長(zhǎng)い。中國(guó)に比べ、せまい土地に生きる日本人の感覚からすれば無駄とも思えるような(決して無駄ではないのだが)謎の空間が門と建物の間に存在する。すぐ前に見えているはずなのに、なかなかその建物にたどり著かない。そのたびに私は、「中國(guó)って広いなぁー?!工戎袊?guó)の広大さを?qū)g感している。
私は今、「西安外國(guó)語大學(xué)附屬西安外國(guó)語學(xué)校」という小?中?高一貫校で日本語教師として勤務(wù)している。西安は、古くからの歴史があり、日本から遣隋使や遣唐使が送られた長(zhǎng)安としても有名な街である。赴任した當(dāng)初、案內(nèi)してくれた先生から、「うちの學(xué)校は、そんなに広い學(xué)校ではないですよ?!工妊预铯欷郡㈤Tから教室、教室から食堂まで、食堂から運(yùn)動(dòng)場(chǎng)までの道は想像したよりも遠(yuǎn)かった?!袱长瘟侠恧?、そんなに辛くないですよ?!工妊预铯欷剖长伽皮撙苛侠恧丐盒沥い瑜Δ恕⒅袊?guó)での基準(zhǔn)の違いをいつも感じている。
この間、ある學(xué)生が、作文の授業(yè)で「世界は、一つの村となろうとしています。」という文章を書いていた。中國(guó)語では「地球村」といい、ネットや交通の発達(dá)により、國(guó)と國(guó)、人と人との距離は近くなり、一つの村のようになってきているという意味があるらしい。私も中國(guó)國(guó)內(nèi)でその感覚と似たような體験をした。日本語スピーチコンテストの審査員のため、西安から湖南省まで出張した時(shí)のことだ。距離にして約1200㎞。以前中國(guó)を旅行した時(shí)の経験から考えて移動(dòng)に2日ほどかかるイメージだったが、近年中國(guó)では、高速鉄道が発達(dá)したため、その距離をなんと7時(shí)間で移動(dòng)できてしまった。感動(dòng)にも似た、なんともいえない気持ちになった。交通が発達(dá)し、確かに國(guó)の距離も近くなったという気がした。さらに現(xiàn)在中國(guó)では、「一帯一路」という、現(xiàn)代版シルクロードの建設(shè)が計(jì)畫されており、西安の子どもたちは、他國(guó)と「つながる」ということを自然に受け入れている印象がある。
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