1945年8月9日、東北抗日連合軍の協(xié)力の下、100萬人に上るソ連軍が中國(guó)?東北を侵略? 占領(lǐng)していた日本の関東軍に猛烈な攻撃を開始した。8月18日に関東軍は降伏し、ソ連軍は中國(guó)人民が抗日戦爭(zhēng)で最終的な勝利を収める上で重要な支援を提供した。中國(guó)侵略日本軍との戦いに參加した経歴を持つ元ロシア兵で現(xiàn)在も生存している人はすでに少なくなっている。人民日?qǐng)?bào)が伝えた。
92歳になるイワン?カゼーツェフさん(音訳)は日本?関東軍殲滅のためのソ連軍の戦闘に參加した中尉で、現(xiàn)在はモスクワ元兵士委員會(huì)第3連合委員會(huì)の副主席をつとめる。
「部隊(duì)の元々の駐屯地コーカサス地區(qū)で対ドイツの作戦を終了した後、1945年5月末にシベリア鉄道沿いに極東地域に移動(dòng)し、東北に侵入していた日本軍への攻撃準(zhǔn)備を行った。牡丹江で連日日本軍を相手に戦い、日本軍の最後のあがきを目撃した。日本軍兵士の一部は天皇の無條件降伏宣言を無視し、諦めずに最後まで抵抗した。彼らは道に爆弾や地雷を設(shè)置し、車や人間がその犠牲になった。數(shù)日置きに予想できない爆発が起き、犠牲者の多くは一般市民で、中には多くの高齢者や女性、子どもが含まれていた。
歴史を改竄することはできない。戦爭(zhēng)を直接體験した戦友のうち健在なのはどんどん少なくなっているが、生きている間は引き続き勝者の功績(jī)を宣伝し、侵略者の犯罪行為を鞭打つ必要がある。若い世代に対して私たちは歴史の真相を理解させ、今日の得がたい平和を惜しむよう伝える義務(wù)がある。侵略國(guó)にとっても、侵略された國(guó)の人々にとっても、戦爭(zhēng)は百害あって一利なしだ」。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年8月11日
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