特定非営利活動(dòng)法人日中友好市民倶楽部と復(fù)旦大學(xué)が主催し、中國(guó)日語(yǔ)教學(xué)研究會(huì)と人民網(wǎng)日本語(yǔ)編集部等が後援する「第19回日中友好中國(guó)大學(xué)生日本語(yǔ)科卒業(yè)論文コンクール」の審査會(huì)はこのほど、復(fù)旦大學(xué)で行われ、受賞者が発表された。
卒業(yè)論文コンクールの審査委員所感は、下記の通り。なお、所感の掲載は、原稿の到著順となる。
南開(kāi)大學(xué)?王健宜
中國(guó)日本語(yǔ)教育界の一大行事である「第十九回日中友好市民クラブ中國(guó)大學(xué)生日本語(yǔ)科卒業(yè)論文コンクール」が皆様の共同作業(yè)で円満に終了し、あっという間に十九年もの歳月が流れ、コンクール開(kāi)催當(dāng)時(shí)の様子が鮮明に脳裏に蘇りながら、「白駒隙を過(guò)ぐ」と古人の述懐を味わい、ほっとした一時(shí)でした。
當(dāng)コンクールの発起人兼スポンサーである小野寺健日中友好市民クラブ理事長(zhǎng)様に改めて敬意を表します。良い仕事を長(zhǎng)く続けるその先見(jiàn)の目と粘り強(qiáng)さに深く敬服し、大らかでゆったりしている生活態(tài)度に感銘いたしました。當(dāng)コンクールの行われたこの十九年間に、地震あり臺(tái)風(fēng)あり、谷あり山あり、それらを微笑みながら看過(guò)し、前向きで一歩一歩進(jìn)む小野寺健先生のお姿は貴重な人生経験のシンボルたる意義を一緒に仕事をしてきた私たちに度々強(qiáng)く與えくれました。
今回のコンクールに応募した言語(yǔ)組の論文は全部で十九本で、そのうち人稱代名詞など語(yǔ)學(xué)研究の論文は九本、中國(guó)文學(xué)の外國(guó)語(yǔ)訳など翻訳研究のは二本、多読能力向上の技法など日本語(yǔ)教育関係のは四本、帰宅挨拶の日中対照など言語(yǔ)文化比較関連のは四本でした。この一連の數(shù)字から、言語(yǔ)分野に限って言えば、基礎(chǔ)研究は依然として重視されながら、多彩な研究テーマに著眼し努力している教育現(xiàn)場(chǎng)の姿が浮かんでいて、バラエティーに富み且つダイナミックな研究活動(dòng)が行われている中國(guó)の日本語(yǔ)教育現(xiàn)場(chǎng)で活躍している教師の方々と學(xué)生諸君に勵(lì)ましの言葉をお屆けしたいと思います。十九本の中、優(yōu)秀な論文は多いものの、極端に雑としか言えないのもありました。一章ただ四五行、全文がただ五ページのようなとても論文とは言えないものも出てきたのは心外です。中國(guó)全土に日本語(yǔ)科を設(shè)置している大學(xué)數(shù)はなんと五百以上もあるそうだから、卒業(yè)論文だけではなく、教育全體にわたるこのアンバランス現(xiàn)象は恐らく普遍的に存在しているのではないかと、心配してやみません。
指導(dǎo)教師が自覚し、論文を書く學(xué)生諸君に執(zhí)筆開(kāi)始前にきちんと教えるべき大事なことがあります。それは研究活動(dòng)の基本的な姿勢(shì)とも言えよう。つまり、獨(dú)創(chuàng)性がしばしば強(qiáng)調(diào)されている昨今において、先行研究を含む原書?原典をじっくり熟読し、先賢の鋭い英知に教わることの重要性は、いつでもどんな大學(xué)でも恐らくいくら強(qiáng)調(diào)しても強(qiáng)調(diào)しすぎることはないだろうと思います。原典読まずの「獨(dú)創(chuàng)性」はいわゆる「知人夢(mèng)を説く」如し?!干蓼欷皮椁氦盲仁澜绀献苑证擞绊懁蚺cえ続けている。だから獨(dú)創(chuàng)性ということに対する一種の幻想はやめたまえ」というゲーテの言葉は、良い意味としてもう一度読み返したことも現(xiàn)代においては特別に有意義ではないかと思います。
來(lái)年はいよいよ當(dāng)コンクールの二十回記念の節(jié)目の年になりますが、いろいろと有意義な活動(dòng)が數(shù)多く行われる予定となっております。願(yuàn)わくば良い日々が続き、素晴らしい優(yōu)秀な論文に巡り合うことを期待しながら、筆を擱きます。