復(fù)旦大學(xué)の韓結(jié)根教授は『琉球王國(guó)漢文文獻(xiàn)集成』の最新研究成果に基づき、このほど『釣魚島歴史真相』(復(fù)旦大學(xué)出版社、海豚出版社刊)を著した。釣魚島及びその附屬島嶼(日本名?尖閣諸島)が中國(guó)固有の領(lǐng)土であることを十分に証明する琉球の漢文文獻(xiàn)多數(shù)が紹介されている。
日本は1879年に琉球を併呑した後、釣魚島(日本名?尖閣諸島)も盜み取ろうと欲した。中國(guó)の學(xué)界による琉球問(wèn)題についての踏み込んだ研究を後押しするため、復(fù)旦大學(xué)出版社と日本の學(xué)者が協(xié)力して、2013年に『琉球王國(guó)漢文文獻(xiàn)集成』を編纂した。韓教授は編集委員、編集責(zé)任者を務(wù)め、2年余りかけて琉球王國(guó)の漢文文獻(xiàn)を編集、整理する過(guò)程で、釣魚島問(wèn)題に関するいくつかの手がかりを発見(jiàn)した。
研究によると、明の洪武五年(1372年)に琉球が中國(guó)の藩屬國(guó)になってから,清の光緒五年(1879年)に琉球王國(guó)が日本に占領(lǐng)、併呑されたうえ沖縄県と改稱されるまでの500年余り、釣魚島(日本名?尖閣諸島魚釣島)及びその附屬島嶼である黃尾嶼(日本名?久場(chǎng)島)、赤尾嶼(日本名?大正島)、南小島、北小島のある海域は、冊(cè)封大典を行いに琉球王國(guó)へ渡る中國(guó)の使臣が必ず通る航路であったのみならず、琉球王國(guó)の使臣が中國(guó)へ朝貢に行き、帰國(guó)する際の重要な航路でもあった。
「常識(shí)的に考えて、釣魚島が交通面でこれほど重要である以上、もし琉球王國(guó)の領(lǐng)土なら、琉球人が自國(guó)の歴史?地理的版図を記載する際にある程度反映させるはずだが、事実は決してそうではない」。韓教授は「私は現(xiàn)存する琉球王國(guó)の全ての漢文文獻(xiàn)を調(diào)べた結(jié)果、琉球の境界と島嶼について全面的に記録、記述する部分を特に設(shè)けた文獻(xiàn)を3部発見(jiàn)したが、いずれにも釣魚島はなかった」と指摘した。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年7月31日
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