日本の侵略戦爭(zhēng)が中日両國(guó)の人々にもたらした災(zāi)難をつづった書籍「難忘一家人——一個(gè)日本籍中國(guó)人民解放軍戦士的真実記録」がこのほど出版された。同書の內(nèi)容はすべて、日本人の元人民解放軍兵士?山辺悠喜子さんの口述と調(diào)査研究を踏まえた実體験を基にしており、戦爭(zhēng)が人々にもたらした被害を明らかにするとともに、戦爭(zhēng)に反対し、平和を大切にし、中日友好を願(yuàn)う気持ちが込められている。中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。
資料によると、中國(guó)人民解放戦爭(zhēng)の際、技術(shù)に詳しく學(xué)問のある多くの日本人青年男女らが中國(guó)共産黨に入黨、あるいは中國(guó)國(guó)籍を取得し、中國(guó)の革命事業(yè)のために奮戦した。
同書の作者である山辺さんは1929年に東京で生まれ、12歳の時(shí)に家族に連れられて中國(guó)にやってきた。16歳で人民解放軍に參加し、部隊(duì)と共に南下、24歳の時(shí)に帰國(guó)したが、差別に苦しみ、退職後は中日両國(guó)を頻繁に往復(fù)し、日本軍中國(guó)侵略時(shí)の犯罪行為の証拠を探し続けた。
同書の內(nèi)容はすべて山辺さんの実體験を基にしており、16歳で人民解放軍に入った當(dāng)時(shí)の楽しい記憶や、貴重な成長(zhǎng)の日々をつづっている。山辺さんが配屬された衛(wèi)生部隊(duì)には、日本人の西洋醫(yī)もいれば、中國(guó)人の漢方醫(yī)もいた。醫(yī)學(xué)の種類や國(guó)籍は違えども、皆互いに仲良く思いやり合いながら、生死を共にする戦友としての絆を結(jié)んでいた。山辺さんも、現(xiàn)地の人々が東北民主聯(lián)軍(後に中國(guó)人民解放軍第四野戦軍に改名)を信頼し、心から支援していることを感じ、「軍と民は家族」という言葉の意味を?qū)Wんだ。また、「皇軍」と稱する日本軍と東北民主連軍との違いを?qū)g感したという。
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